山崎峯次郎
エスビー食品の創業者。日本で初めて純国産のカレー粉の製造に成功し、1923年(大正12年)4月5日、浅草七軒町にエスビー食品の前身、『日賀志屋』を創業しました。 1903年(明治36年)6月11日、埼玉県北葛飾郡金杉村に生まれ、17才の時上京しソース屋に勤めました。
その頃出会ったカレーライスに衝撃を受け、自らカレーライスの基本になるカレー粉の製造に没頭することになります。数々の辛酸の後、日本で初めてカレー粉の製造に成功しました。
同時にエスビー食品の前身である、『日賀志屋』を創業し、以後カレー・スパイスをライフワークとして、様々なカレー・スパイス製品を世に送り出し、日本にカレー・スパイスを普及させる功績を残しています。1927年(昭和2年)12月には、山崎隆治同人妻ナイの養子となり、1932年(昭和7年)1月には、新潟県中頸城郡新道村の松川義隆長女春栄と結婚しました。
1936年(昭和11年)3月、東京都ソースカレー製造業協会会長を皮切りに、戦時中の1941年(昭和16年)6月には全国藩椒製粉工業組合を設立し、統制下の香辛料業界の発展に尽くしました、さらに戦後の物資が極端に不足していた頃には、日本カレー振興会を設立、駐留軍に手持ちの原料の払い下げを折衝するなど、戦後のカレー・香辛料業界の復興にも尽力しました。
そして1944年(昭和19年)5月には全国カレー工業組合聯合会会長、1954年(昭和29年)2月に全国カレー工業協同組合連合会理事長などを歴任し、自社のみならず常に業界の先頭に立ち、業界の発展にも貢献しました。
1958年(昭和33年)4月には、その社会事業に対し、紺綬褒章を授賞。1960年(昭和35年)5月に、カレー粉業界の発展に寄与した功績により藍綬褒章を、1966年(昭和41年)9月28日には香辛料とりわけガーリックパウダーの開発の功に対して、紫綬褒章を授賞、1973年(昭和48年)11月には50年にわたる香辛料に関するたゆまざる研究が、科学技術の進歩・産業の発展・国民福祉に大いに寄与したとして勲三等旭日中 綬賞を授賞しています。
1974年11月4日、逝去(71才)。同日、閣議決定にて従四位に叙せられました。いずれの勲章・褒賞も食品業界では当時としては希な受賞であり、峯次郎の事業に対する情熱と先駆性・独創性が大いに評価された結果と考えられます。起業家として創業者訓など様々な語録を残しているほか、スパイスの正しい啓蒙・普及のため山崎香辛料振興財団、および板橋スパイスセンター内(東京・板橋区)にスパイス展示館が創業者・山崎峯次郎と、社主・山崎春栄の遺志で設立されています。