スパイスの歴史に関するお話スパイス戦争の勃発

16世紀、スペインとポルトガルの東洋進出やアフリカを西回りに航海する航路が開拓されたことで、ヨーロッパではスパイスは比較的手に入りやすくなり、大衆にも広がってかなり大量に消費されるようになりました。アメリカ大陸からの新しい食物も盛んに生産され、食生活は楽しみながら味わう食文化の方向へ発展し、カルダモン、クローブ、ナツメッグ、シナモンなどのスパイス類は、その香りが重要な意味を持つようになっていきました。

その中で勃発したのがスパイス戦争でした。こしょうやクローブ、ナツメッグはそれぞれマラバル、モルッカ、バンダでしか産しなかったので、ヨーロッパ各国はそれら産地の激しい争奪戦を繰り広げたのです。

  • 17世紀スペイン雄飛時代の帆船
  • パナマ海峡にある古いスペイン要塞の跡

4カ国の熾烈な戦争

カレー粉を調合するインド婦人

まずポルトガルが、次いでスペインが最強国の一つとしてこの海域に進出しましたが、それに続いたのがイギリスやオランダ、そしてフランスでした。1570年、エリザベス一世の勅許を受けドレークはカリブ海で海賊としてスペイン船を掠奪、1577年にはマゼランの開拓したコースをたどり、2年後にテルナテ島に着きました。これを皮切りに、1600年に東インド会社を設立し、ここを拠点にして布石を打っていくのです。 オランダも1500年代の末、モルッカ諸島に進出し、将来のオランダ支配の基礎を築き、1602年に株式会社のモデルとなった東インド会社を設立、ここを拠点にポルトガルの追い落としにかかります。こうして、スペイン、ポルトガル、イギリス、オランダ4国による戦乱状態がエスカレートしていきます。
勢力分布が確定してきたのは1640年ごろで、1641年にオランダはマラッカを強襲してポルトガルから奪い、マラッカ海峡を支配しました。ここから得られる利益を基に、オランダは18世紀末までの2世紀にわたり繁栄の時代を謳歌する一方、イギリスは香料列島におけるオランダとの協調の可能性を失い、インド植民地に全力を傾けるようになりました。

スパイス戦争の終結

スパイス・ロードの要点として栄えたバグダード路上の昔ながらの香辛料売

しかしオランダの栄華は、思わぬ形で崩れていきます。その立役者はフランスでした。フランスはこれらヨーロッパ諸国と正面から争うことなく、盗木という知略でスパイスから得られる利益を追求しました。クローブやナツメッグなどの利益を生む苗木を生育地から盗み出し、フランスの支配下にある植民地へと移植して育てていったのです。
イギリスもまた同じ方法でスパイスを各地に広げ、スパイスは各地へと移植が進みました。栽培地の広がりで、香料諸島の苛烈な植民地政策は急速に意味を失い、スパイス戦争は自然のうちに消滅し、島々はようやく以前の静けさを取り戻すことができました。