04 わさびについて 古くから日本人に愛されてきた、わさび

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徳川家康はわさびの大ファンだった!?

日本の食卓になじみ深いスパイスの一つ、わさび。わさびの漢字名である「山葵」が書物に登場したのは千年以上前までさかのぼります。

食材としてポピュラーなものではなかったようで、江戸時代、駿府城に移った徳川家康のもとへ、わさびが届けられたところ、家康はその風味を大変気に入り珍重したという逸話も残っています。

江戸末期になると、幕府の直轄地・伊豆の天城山山麓の清流でもわさび栽培が始まります。わさびの葉の形が徳川家の家紋である葵の形によく似ていたことから、幕府が特に栽培を奨励したとも言われています。とはいえ、庶民にはまだ高嶺の華だったようです。

グルメな江戸っ子も大満足 わさびをはさんだ握り鮨

わさびが料理として登場するのも古く、平安時代のものと推定される記録に、料理の材料としてわさびが記されています。時代は下って「四条流庖丁書」(1489年刊)では、鯉の刺身をわさび酢につけると記されています。江戸時代初期には、そばの薬味としても使われ始めますが、庶民にはなじみの薄いものでした。
握り鮨におろしわさびを使いはじめた歴史は意外に新しく、文化年間(1804~1818年)初期のこと。喜多村信節の著「嬉遊笑覧」(1830年刊)に、「深川六軒ぼりに松がすし出てきて、世上すしの風一変し」と述べられていることから、江戸深川六軒堀の「松が酢(ずし)」が、鯖(さば)の生臭みを消すために使ったのが最初だと語り継がれています。

文政年間(1818~1830年)の初期になると、江戸霊岩島の鮓(すし)屋与兵衛が、わさびをはさんだ小鰭(こはだ)の握り鮨を考案。それが江戸っ子の好みによくマッチして、握り鮨流行のもとになったと言われています。

「本わさび」と「西洋わさび」は何が違う?

「本わさび」(学名 Wasabia japonica M.)は日本原産の植物と言われており、古くから国内各地で自生し、日本の食文化に無くてはならない和の香辛料として根付いて参りました。一方、北欧(フィンランド)が原産と言われる「ホースラディッシュ」(学名 Armoracia rusticana G.)という、「本わさび」と同じ辛味成分をもつ香辛料があります。別名「西洋わさび」とも呼ばれ、「本わさび」と同じアブラナ科ではありますが、属・種が異なる植物で、現在日本では、北海道等ごく一部の地域で栽培されています。

「本わさび」は自然条件にとても敏感な植物で、生育には一年をとおして冷涼な場所を好み、強い日差を嫌い適度な日照を必要とするというように、その育つ条件は限定されます。又、収穫にも長い年月がかかり、主とする根茎部分の収穫量も極めて少ないものです。したがって希少性の高い「本わさび」は、市場での取引がどうしても高値になってしまいます。

一方、「西洋わさび」は細身の大根のような大きさに育ち、擦りおろすと「本わさび」と同様の辛味を楽しむことができます。色は乳白色でステーキ、ローストビーフなどに添えられているのを目にします。

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