文化活動

探訪スパイス&ハーブ スパイス&ハーブについての知識の旅にご案内

スパイス展示館へようこそ

1階 エスビー食品の歴史のコーナー

1階には、この展示館の創設を遺志として残したエスビー創業者・山崎峯次郎とその妻・山崎春栄の銅像や、鬼神社、エスビー食品の歴史展示室が設けられています。

1階ロビー 創業者・山崎峯次郎と山崎春栄

扉を開けロビーに足を踏み入れましょう。照明を落とし重厚な雰囲気を漂わせるロビーで私たちを出迎えてくれるのはエスビー食品の創業者・山崎峯次郎、峯次郎ともに社業に携わった山崎春栄の銅像です。

1階ロビー 創業者・山崎峯次郎と山崎春栄

1階ロビー-鬼神社(きじんじゃ)

1階ロビー-鬼神社(きじんじゃ)

ロビーの正面で目立つのが神社・・!?。どうしてここに神社が?不思議に思われるのではないでしょうか。この神社は、青森県にある鬼神社(きじんじゃ)を分祀して頂いたものです。

鬼神社は青森県弘前市の郊外、旧鬼沢村にある鬼をまつり、鬼の好物であるにんにくを奉納している神社です。昔、稲作に不可欠の用水が無く村人が困っていた時、近くの岩木山に住む鬼が現われ、一夜のうちに灌漑用水路を完成させました。それ以来鬼は村人の恩人になり、鬼をまつった鬼神社が建立されたと言います。
旧暦5月29日(新暦7月12日)の大祭には、近くの岩木町でとれるにんにくが奉納され、門前にはにんにく市がたって大勢の人で賑います。エスビー食品はにんにくの効能を活かしたまま乾燥・粉末化することに成功し、「ガーリックパウダー」を製品化した経緯から1984年、同神社に分祠を申し入れたところ、展示館に分祠が許されたのです。

エスビー食品の歴史展示室

スパイス展示館1階の展示室には、エスビー食品の歴史がわかる年表や、エスビー食品の歴史を彩る各時代のパネル、カレー粉やコショーのパッケージに貼られていた戦 前からの珍しいレトロなラベルが展示されています。この中から興味深い歴史を感じさせるパネルを幾つか紹介しましょう。

エスビー食品の歴史展示室

 
■ スパイスのふるさと

スパイスのふるさと

1階展示に足を踏み入れると、いかにも南の島という雰囲気の電飾パネルが目に付きます。これはクローブやナツメッグなどのスパイスのふるさと、インドネシアの香料諸島の中のモルッカ諸島を写したものです。
大航海時代、冒険者達が目指したのが、こしょう、クローブ、ナツメッグの産地であるアジアでした。中でも通称、香料諸島と呼ばれるモルッカ諸島はクローブの産地で、コロンブス、マゼラン達が大海原に船出した目的地のひとつがここモルッカ諸島だったのです。

 

■ 板橋の国会議事堂

板橋の国会議事堂

珍しい板橋の国会議事堂を紹介しましょう。スパイス展示館が建つ板橋スパイスセンターは、かつてカレーなどを作っていた主力工場でした。1947~48年頃、入り口正面に国会議事堂を模した工場を竣工。板橋の国会議事堂と呼ばれ親しまれていました。
実は、「赤缶」の名前で親しまれている「赤缶カレー粉」の缶には、国会議事堂をあしらったイラストがレイアウトされています。その国会議事堂を工場の建物の一部にしてしまったのが、“板橋の国会議事堂”だったのです。

 

■ 街を賑わせたガーリックカー

街を賑わせたガーリックカー

エスビー食品は1960年に「S&Bガーリック」を発売しました。「にんにく」でなく、新しい「ガーリック」のデビューにあたって、エスビー食品が展開したのがガーリックカーキャンペーン。当選者に1年間、宣伝カーに仕立てた黄色のルノーに乗っていただければそのまま差し上げるという画期的なキャンペーンが話題になりました。

 

■ 山崎峯次郎とカレー組合

山崎峯次郎とカレー組合

山崎峯次郎は1936年(昭和11年)3月、東京都ソースカレー製造業協会会長を務めたのを皮切りに、戦前・戦中を通じて業界の存続・発展のために先頭に立ち、業界組合の要職を歴任してきました。さらに戦後の物資が不足していた頃には、日本カレー振興会を設立、駐留軍に手持ちの原料の払い下げを折衝するなど、戦後のカレー・香辛料業界の復興にも尽力しました。そして1944年(昭和19年)、全国カレー工業組合聯合会会長、1954年(昭和29年)全国カレー工業協同組合連合会理事長などを歴任しました。現在は全日本カレー工業協同組合にその精神が受け継がれています。

 

入り口のスパイスの木とハーブ   スパイス&ハーブ、カレーのコーナー