スパイス&ハーブ事典

スパイスの歴史に関するお話
スパイスは世界に数百あると言われ、ハーブになると万という数になるという説もあるほどです。そしてそれぞれに歴史やエピソードを持ち、全体としても数々の歴史エピソードが残っています。ここでは、人とスパイス&ハーブの関わり、時には歴史を動かす原動力にもなったことのあるスパイス&ハーブの歩みをひも解いてみましょう。スパイス&ハーブから見る世界史・日本史で、新しい歴史を発見できるかもしれません。

カレー粉が伝わる

鎖国のため外国の新しい文明や産物にほとんど接することのできない時代が200年余りもの間続いた後、明治維新によって文明の道が拓けました。この後、日本に独創的なスパイス文化が誕生し、発展していきます。今では誰もが口にするカレーです。
文明開化間もない明治5年(1872年)に刊行された「西洋料理指南」や「西洋料理通」の中に私たちは始めて「カリー」の作り方を見出すことができます。
  元々インドに原型があったカレー料理は、東洋に進出したイギリスが1600年に「英国東インド会社」を設け、本格的にインド支配に乗り出したことが契機となり、イギリス本国へライスとともに伝えられ、ヨーロッパに伝統的なルウタイプに生まれ変わった後、西洋料理の一つとしてヨーロッパから日本にもたらされました。日本では穀物を主食にしていた関係から、カレー料理は米飯と結びつき、ライスカレーとして定着し、国民食と呼ばれるほど日本全国に広まったのです。
カレー(粉)は、日本人が産み出し、発達させてきた独自のスパイス文化と言ってもよいでしょうね。
 
 

始めてカレーに出会った日本人は誰でしょう?
「会津藩白虎隊の一員であった山川健次郎が明治四4年に渡米した際の船中食で、カレーライスなるものにはじめて接し、『このゴテゴテした物』と称してライスにかかったカレーを食べることができず、ライスだけを食べ、この船中食には閉口したそうだ。山川健次郎がカレーライスに接したはじめての日本人ではないだろうか」(1981年6月21日付「毎日新聞」)という記事があります。

山川健次郎はその後、東京帝国大学や京都帝国大学の総長を歴任するなどの識者で後年、回想録の中で以上のようなエピソードを紹介しています。しかしこれはあくまで文字に残った記録であり、天正の少年使節は、インドで日本人が奴隷として働かされせられている姿を目撃しています。江戸時代の初期、アジア各国の日本人町に多くの日本人が住んでいました。こうしてアジアに進出していった日本人が、どこかでカレー料理に出会っていたとしても不思議ではありませんね。
日本で初めて国産のカレー粉を作り出した、エスビー食品の創業者・山崎峯次郎
日本で初めて国産のカレー粉を作り出した、エスビー食品の創業者・山崎峯次郎

2010年に発売60周年を迎えた、日本のカレーの原点、「赤缶カレー粉」
2010年に発売60周年を迎えた、日本のカレーの原点、「赤缶カレー粉」

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