スパイス&ハーブ事典

スパイスの歴史に関するお話
スパイスは世界に数百あると言われ、ハーブになると万という数になるという説もあるほどです。そしてそれぞれに歴史やエピソードを持ち、全体としても数々の歴史エピソードが残っています。ここでは、人とスパイス&ハーブの関わり、時には歴史を動かす原動力にもなったことのあるスパイス&ハーブの歩みをひも解いてみましょう。スパイス&ハーブから見る世界史・日本史で、新しい歴史を発見できるかもしれません。

オランダと日本

オランダの東洋進出は日本にも少なからず影響を与えました。1600年3月26日、豊後にオランダ船「リーフデ号」が漂着。このリーフデ号はオランダからマゼラン海峡を経てモルッカ諸島のスパイスを目指して西進していた5隻の船団の中の一隻で、途中嵐のために分散して漂着したのです。その航海長のウイリアム・アダムスはイギリス人で、後に日本名で三浦按針と名乗り、日本の歴史の舞台に登場してきます。そのアダムスが、家康の命を受けて建造した120tの洋式船が「サン・ブェナベンツーラ号」です。1601年には京都の商人田中勝介ら22名の日本商人がこの船に同乗し、日本人として初めて太平洋を渡り、カリフォルニア、アカプルコ、メキシコシティを訪れています。1614年には、仙台藩士支倉常長は太平洋を渡りアカプルコへ上陸し、メキシコ東岸からさらにスペイン船に乗り、大西洋を横断した初めての日本人となりました。 その後、徳川家康は御朱印船を承認、延べ十数万人もの日本人が東南アジアに渡り、日本人商人がこの地の経済に一定の影響力を持つに至りました。フィリピン、ベトナム、タイ(シャム)、カンボジア、マラッカ、スマトラ、ジャワ、サラワク、セレベス、モルッカなどに進出し、各地に日本人町もできましたが、家光の時代に鎖国令が敷かれ、交流の路はわずか30年ほどで閉ざされてしまいました。

シナモンの束
シナモンの束
戻る